こんにちは。
先日、仲間の行政書士と生成AI活用の雑談の中で、わたしは一つの根本的な問いが頭に浮かびました。価値あるAI活用のゴールは、業務の全自動化なのでしょうか?
忙しい日常とAIの必要性
正直なところ、業務で忙しくしていると、AIツールを試している時間自体がないことに気づきました。これはつまり、手作業工程を済まさなければAIツールを使うことができないし、裏を返せば、日常業務を回すうえで、現時点のAIツールは必須ではないということなのかもしれません。
現在のわたしのAIツール活用は、調査や資料の校正など、あくまで手作業の延長線上にある「手作業支援」に留まっています。この「支援」だけでも時間短縮にはなっています。
もし全自動でできたらいいな、と思うのは、ウェブサイトパトロールでの情報収集です。定期的にアップされる報告資料を何もしなくても回収してくれれば楽になるでしょう。
それでAIツールの使用目的は本当に手作業の延長線上で良いのか、時々立ち止まって考えます。
全自動化への道のりと二つの大きな課題
もし目標を「全自動」に置くなら、そこには二つの大きな課題があります。
まず、その前に必要なのが、「やりたいこと」の明確な言語化です。何を、どこまで自動化したいのかを定義できなければ、その次のステップである「それを実現させる技術の習得」に進むことはできません。
そして、全自動化の実現には、知識面での高いハードル、またはそれを回避するための資金力という壁が立ちはだかります。高度な技術を自力で習得するか、資金力に任せてアウトソーシングするか、という二択です。
現状、わたしにはAPIの知識自体がありません。
個人事業主や小規模事業者は、資金の制約から自力での習得を選ぶことが多いのではないでしょうか。ではどうやってそれを実現できるでしょうか。その道筋を作らなくてはなりません。
人は自分の「創造」に価値を見出す
全自動化という目標が少し寂しく感じるのは、根底に「人間賛歌」の問題があるからかもしれません。
例えば、「創造」は産みの苦しみはありますが、同時に楽しいものです。この喜びを他人に(AIに)任せてしまうのはもったいないと感じます。
しかし、生成AIが行う作業、例えば簡単な条件入力だけでクリック一つで成果物が得られる「速度」には、人間は勝てません。この「品質はともかく、速度で圧倒するAIが行う作業に価値はあるのか? それと同じ作業を人間が行うことに価値はあるのか?」という問題に直面します。
人は自分の行いに価値を見出したい生き物です。
例に出すと、使えない人に限って、Excelの計算を不審がり、電卓打ちこそ価値があると言う人がいます。しかし、それは裏を返せば、時間のかかる電卓打ちを強要する行為は価値がなく、「Excelを使えない人間に価値はない」という強者の理論になりかねません。これはしんどい理屈です。
この例はたまたまExcelですが、イラストを描く、セミナー資料を作る、コードを書くといった各分野すべてでプロフェッショナルな技術者はいないからです。仮に特定技術を持っていたとして、AIツールとの純粋な力比べが継続して行われることを意味します。
強者の理論は、自分が弱者側になるケースを想定できない弱さを内包しています。
技術習得はベイビーステップで
日進月歩で進化する生成AIの技術開発に、一介の個人事業主や小規模事業者がどこまで追いつけるでしょうか。技術は「AIエージェント」のようなサービスとしてどんどんワンパッケージ化され、ブラックボックス化していきます。
しかし、立ち止まってはいられません。わたしにできるのは、技術習得をベイビーステップであっても進めること、すなわち、できる範囲で実際にツールを使ってみて、その能力や可能性を肌で感じ、最新の話題に追いつこうとすることしかありません。
初級者は「全自動」という夢のような目標ではなく、まずは目の前の業務を助けてくれる「手作業支援」の質を高めることに注力する。これが、今のわたしにできる最善のアプローチだと考えています。
